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Author:エコ猫
環境学への学問的探求と言っても、あまり堅くなりすぎないように気を付けて、みんなで知的に楽しめるようなサイトを運営したいと思っております。


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「環境学へのあゆみ」開設への意気込み

2007年10月、環境に関する学術的な探究をテーマにブログを開設しました。

このブログでは、最近では一つの流行ともなり、非常に多くの場面で見たり聞いたりするようになった「環境」や「エコロジー」といった事柄に関して、わたしの視点から学問的にアプローチをしていこうと思います。

日本では環境学という学問分野が少しずつ形成され、今では多くの大学に環境学を専攻する学科ができました。しかし、環境学っていったい何かと言うと、実はあまり「コレコレこういう学問だ」、というような決定的な定義がないように思います。それというのは、自然環境や住環境、職場環境のような言葉からわかるように、環境と一口に言ってもいろいろなレベルでの環境があって、その分問題も非常に複雑化しているというのが一つの原因であると言えると思います。

「環境学って結局なんだかわからないんじゃダメじゃん。」って思いましたか?
いやいや、なんだかわからないからいいんです。人はみんなそれぞれ、いろいろなレベルのいろいろな環境の中に生きているのだから、「環境」と聞いてみんなが全く同じものを想像して理解するなんてそもそもできないのです。

例えばある人の想像した「環境」は、周りに木がほとんどない自然環境だったり、エアコン完備で夏も冬もどーんと来い!的な住環境や、もしかしたら人間関係がうまくいっていない職場環境かもしれません。

このように、みんなが違った環境の中に生きているという事実をひっくり返してみると、環境学というのは私たち一人一人が、自分の生きている環境を考えてみるということきらきらァなのではないでしょうか?

わたしは、このブログを通して環境学への歩みを進めるとともに、環境学に興味を持った読者の方たちに少しでも知的なドキドキ感を提供できたらと思います。

わたしはわたしの環境学を始めます。
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エコ棺 環境にやさしい最期を迎える?

ダイオキシンやCO2の排出などが危惧されるいま、ついに葬儀の際に使われる棺までエコ化が進み始めた。

エコ棺とは段ボールでできた棺(ひつぎ)のことで、火葬の際に排出される二酸化炭素を従来の約二分の一に削減でき、接着剤や塗料を使用していないため有害物質も従来の三分の一に抑えられる。(朝日新聞

さらに、棺に使われる木材の調達先であるマレーシアやインドネシアを森林伐採から守り、エコ棺購入金額の数パーセントは植林事業に寄付というのだからなんともエコロジーだ。

でもここで少し考えてみる。排出の問題が指摘されるのであれば、そもそも火葬ってエコロジーではないのでは?例えば燃やさずに埋葬する土葬はどうなのか。
実は日本では法律上、土葬も火葬と同じく平等に扱われている。要は葬る場所があれば土葬ができる。

しかし個人的にもっとエコな雰囲気が漂うのは樹木葬。イギリスなどでは樹木葬がエコロジーということで話題になっているというが、山などに葬った死体が木や草の栄養となって自然に還るというのはいかにもエコロジカルな最期ではないか。(樹木葬について、さらに詳しくは千の風みらい園さんのHPに説明があります。)

葬儀というのはその土地の文化が大きく反映される儀式の一つであり、ピラミッドなどのように権力構造をあらわしたり、また葬儀の豪華さが生前の社会的地位を表したりする。しかし、エコ棺のようなものが注目を浴び、少しでもエコロジカルな死を選ぶ人が増えたなら、わたしたちは今までほど生前の権力や社会的地位に固執することがなくなるかもしれない。

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『沈黙の春』 公害問題の先駆


1962年にレイチェル・カーソン(Rachel Carson)によって著された沈黙の春(Silent Spring)は、1960年代から活発化した公害に関する議論の火付け役となった名著であり、環境問題の系譜を理解する上でもっとも重要な著作のひとつである。

カーソンは、当時まだ手付かずだった除草剤や殺虫剤に関する膨大な資料をまとめ、化学物質が生物に与える被害や、その被害がゆくゆくは人間の身に降りかかるのだということを強く訴えた。科学的に緻密に裏付けられた事実に加え、直接的でありまた情緒的でもあるその文章表現は、多くの人々の共感を得てたちまちベストセラーになり、人々の環境問題に対する関心を呼び起こしたのである。

この著作に関するレビューや感想はすでに多くの人々に書かれており、あえてここで同じようなレビューをするつもりはない。わたしが気になるのは、彼女はなぜこの本を書いたのか、である。

沈黙の春は告発本だとよく言われることがある。しかし、誰のための告発本だったのだろうか?人間のため?動物のため?虫のため?

沈黙の春を執筆した後の彼女は、化学薬品に携わる人々の多くの攻撃にさらされた。何通もの匿名の手紙や、女性を差別、中傷するような電話も多くかかってきたという。そこまでのリスクを負ってまでなぜあんな本を出版したのだろうか。

(以下はわたしの環境学)
それは、彼女が自然を愛していたからではないだろうか。自然といっても、特定の鳥や花が好きだったのではなく、それぞれが、それぞれを謳歌して生きているその自然世界を愛していたのではないだろうか。

レイチェル・カーソンのほかの著作に『センスオブワンダー』(Sense of Wonder)があるが、この中で彼女は、自然と向き合うことを通じて自分の中にわくわくとした感情があふれ出してくるというような感覚を見出している。それは、知れば知るほどにわからない自然の完璧なシステムを前に、次から次へと押し寄せてくる好奇心の波だったのではなかろうか。


「If facts are the seeds that later produce knowledge and wisdom, then the emotions and the impressions of the senses are the fertile soil in which the seeds must grow.(もし真実が知識を生み出す種であるならば、感動はその種を育てる土である。)」Rachel Carson

つまり、真実の探求に真直であった彼女の生涯は、彼女が、愛する自然を通して受けた感動に対する必然的な行動であったと言えるのではないか。

関連リンク:The Life and Legacy of Rachel Carson

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霜降り牛肉…おいしさの裏には?

あるテレビ番組で、「葉山牛を1000円以下で食べられる!」とかいうのをやっていた。
ウマソー!と一瞬思ったが、葉山牛の飼育過程の説明でちょっと考えさせられた、というのも、わたしが食べている肉って牛じゃないんじゃないかな、と思ったわけである。

誤解しないでほしい。普段わたしが食べているのは紛れもない牛肉である。わざわざ牛と偽って出荷されている牛肉を食べているわけではない。(そこまでひねくれてないよ)
要はわたしが肉を食べるときにその肉が牛だったというのを意識しているのか、または意識できるのか、といったことである

葉山牛の飼育過程において重要なのはまめにブラッシングをしてやってなるべくストレスを感じないようにするらしい。きっと牛は「モゥ気持ちぃー!ありがとね!」とか思っているはずである。そんなのを想像しているとその牛がかわいく見えてくる。

しかし、その飼育員はむしろ牛の気持ちなんてどうでもよく、あくまで最高級の霜降り和牛を作るための作業としてやっているのだ。そう考えると飼育員が恐く見えてくる。つまり別の例を用いればこういうことだ。

会社で上司が部下に「おまえ、今日は本当によくやったな!上司として誇りに思うぞ!」と言ったりして部下が「ありがとうございます!(やったぁ)」とか思ったとする。しかし、上司からしてみれば朝読んだ本に【One Point-部下の業績を伸ばすにはまず褒めること。】と書いてあってそれを実践しただけの話だとする。私はちょっと切なく感じる。

しかし、重要なのはこれから先だ。牛の話に戻すと、わたしが牛に対して切なくなった時点でわたしとその牛の間にはなんらかの感情的なリンクができたと思われる。しかし、いざわたしが食卓で霜降り牛肉を前にすると、それは「うまそうな肉」であって「モノ」である。無機的なのである。

なぜわたしはその肉を前にすると想像が働かなくなってしまったのか。なぜなら、かわいい牛と霜降りの肉片はわたしの中では全くの別モノだからだ。次の図を見て欲しい。
牛から牛肉へ

原因の一つとして考えられるのは、牛が牛肉へと変わる際の過程が普段の生活の中から切り取られているということだ。社会の中で切り取られるイメージには、何かの意図が働いていることが多い。例えば、わたしたちが牛肉を見て「あぁ、かわいい牛さんがこんなことに…」とか「こんなの食ったらバチが当たるわい」とか思ってしまうと消費量が落ちる。そうすると経済の循環が減速する、といった具合だ。

家畜を自らの財産として暮らしている文化圏では、家畜を大事にし、また食用として殺す際には生贄の儀式(感謝をささげる儀式)が行われていた。つまり、そのような文化においては、「感情的なリンク」を押し殺すのではなく、逆に儀式などを通して消化させることによって自然との関係を深めていたのである。もちろんそのような関係においてむやみに牛を殺したりはしない。無駄な自然資源の搾取は行われないのである。

次に食事をするときには、「いただきます」と言ってそれぞれの食べ物に想像力を馳せてみてはどうだろうか。また、食べ物だけではなく、身の回りにあるいたるものに想いを巡らせてみることがエコロジーになり得るのではなかろうか。

(環境倫理学の研究者である鬼頭は、『自然保護を問いなおす』の中でこのような生産物と消費者との関係を「生身と切り身」という概念を打ちたてて説明している。また、本文でわたしが使用している「感情的なリンク」は、鬼頭によれば「宗教的・文化的リンク」と呼ばれ、それに対応する概念として「社会的・経済的リンク」を用いている。本文にて興味を持った方は、そちらでの議論を参照されると良いかと思う。)

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『moon』というゲーム

MOON
ベスト版はコチラ

私が今までやったゲームの中で、おそらく最も印象に残っているゲームがこの『MOON』である。このゲームほど「スローライフ」という単語の似合うゲームもまずないだろう。

「moon(ムーン)は1997年にラブデリックが開発しアスキーから発売されたリミックスRPGアdベンチャーゲームというジャンルのプレイステーション用ゲームソフト。(中省略)主人公である「少年」の役目は、勇者に殺されたアニマル達を救い出し、奇妙で暖かい住人達と心を通わせることだ。そうすることで『ラブ』と呼ばれるものが集まりレベルアップできる。」(Wikipediaより引用)

moonは、今でもなおたくさんの人々の印象に残り、後にも先にもこれを超えるゲームはない、という人もかなりいる。この唯一無二のゲームは、そのメッセージ性の深さからプレーヤー自身が成長できるゲームだと思う。

思えば最近のニュースや紙面をにぎわしているのは、ゲームが人に与える悪影響ばかりだ。しかし、良い影響を与える部分も多く存在しているのも事実である。その良い部分をもっと認知させて、ゲーム業界を発展させていくことがもっと必要なのではないか。

(以下ネタバレ含む)

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大人の「遊ぶ」

大人が「遊ぶ」っていうと、なんなのでしょうか。これは、自分でもまだ推測でしかないのですが、大人が何かをして「遊ぶ」というと、ほぼイコール「消費活動をする」みたいなイメージがあります。

今は「友達と遊ぶ」と聞くと、だいたいカラオケに行くのかなぁとか、飲みに行くのかなぁ、または買い物に行くんだろうな、と思うわけです。いつからそう思うようになったんでしょうね。

思えば、小学校の頃に「友達と遊ぶ」と言えば校庭で遊具を使って遊んだり、むしろ遊具なんてなくても、家の前や公園などで何か拾ってそれで思いつく限りのことをしていました。今の子供達がどのように遊んでいるかはわかりませんが、だいたい小学校の頃お金なんて持っていないから、そんな風にしか遊べなかったというのも事実です。

お金を使って遊び始めたのは中学校くらいの時でしょうか。やはりお金を使うことを覚えるというのは、お金があれば自分が欲しいものが手に入るということを学ぶことですから、それはそれは楽しかったです。でも、そのころから「楽しさは買うものだ」という風に思うようになったのかもしれませんね。

友人が社員旅行に行ってきて、「泊まったとこはなんにもなくてやる事がなかった、つまらなかった」と言っているのを聞いて、この世にやることのない、楽しみのない場所なんて本当にあるのかなぁ、と疑問に感じ今回の内容を書くに至ったわけですが、人為的に作られた楽しさは娯楽の中のごく一部だということにそろそろ気付くべきなのかもしれません。

雑草さんが雑草の言葉というブログで主張しているように、環境問題が限りのない消費活動の拡大から生まれたというのは今ではかなり説得力を帯びています。子供のときのように消費活動なしに(または小さな消費活動で)楽しんでいたというのを思い出して、もっと消費の少ない「エコな遊び、エコな楽しさ」を大人が意識したら少しは何かが変わるかもしれません。

みなさんにとって「遊ぶ」って何ですか?わたしはまだ考え中です。

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